まずは「東北地方太平洋沖地震」 被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。 そんな私も帰宅難民になりそうでした。 いまだに体の震えが止まりません。。。 本当にダメかと思いました。 職場は丸の内です。 高層ビルが立ち並ぶオフィス周辺は本当に怖かったです。 私のオフィスは30階以上の高さで私の部署は7階。 耐震構造なので、揺れる。 突き上げ→横揺れ→めまいみたいな揺れ→横揺れ強。 これの繰り返し。 何回机の下にもぐっただろう。 そして、一回の揺れが長くて長くて。 実際は何分あったのかわからない。 長く感じただけかもしれない。 とにかく、もう無理〜とかもうやめて〜とかもう止めて〜とか 叫びまくっていました。 直後、全く携帯が繋がらないという不安。 母の携帯に連絡しても繋がらないし。 会社の中はけっこう混乱していました。 人生初のこの体験、どうしたらいいのか 気がおかしくなりそうでした。。。 隣の同じような高さのビルの上がしなってみえる。 うちのビルもそうだったんだろうなぁ〜。 うちのビルから方向的には南東側の方で黒煙が見えました。 インターネットで見るとお台場で火災という情報。 その黒煙だったみたいです。 とにかく怖くて…ビルの下を見るとたくさんの人が歩いている。 もう動きだしてるのだと思いました。 会社内では早退してよし、という指令もなく、なんとなくみんな 定時までいました。 定時後、とにかく丸の内付近から離れたくて、少しでも地元に 近いところに行きたくて、池袋を目指し、バスを乗り継ぐ計画。 バス乗り場にいくと当然行列。 並び始めたけど、寒くて凍えそうだし、、、 その間、チョコレートを食べたり、、、あ、あと上司が買いだしで 買ってきてくれた「一本満足バー」に救われて、なんとか乗り切った。 先輩と上司と3人だったのでなんとか頑張れたかも。 2時間待ってバスにやっと乗れた。 終点の地域、通常は50分で行けるところなのに、全然動かない。 その間、少しずつ地下鉄は運行開始のアナウンスがあったけど、 私の自宅へ帰れるような路線は復旧しない。 先輩が「うちに泊まりな!」と何度も言ってくれて… ここまできたら下手に動くより落ち着いて明日帰ったほうが いいかも、と思いはじめてそのままバスに乗りました。 50分でつくそのバスはなんと7時間半もかかりました( ̄□ ̄;)!! 6時頃並び始めて、8時にバスに乗って、先輩宅へついたのは 夜中の3時半頃。 その後、なんとか家族とも電話で話せて一安心。 とりあえず、ご飯を食べました(笑) そして、先輩宅が悲惨な状態でして、、、 食器棚から落ちまくっているガラスを片づけて仮眠。 1時間くらいしか眠れなかったけど(^_^;) 家族に会えないって本当に不安ですね。 電話では話せたけどなんていうか、顔を見てないから とても不安な気分で。 早く帰りたくて仕方なかったです…。 先輩宅からは電車で帰ろうと思っていたのですが、 危険だし、心配だからと言って9時くらいに先輩夫婦が車で自宅まで 送ってくれました…。 10:30頃自宅着。 長い長い一日。 家に帰ったら少しほっとした。 朝から友だち、親戚からメールが続々届く。 そう、私の携帯、充電が切れてしまい、連絡取れずだった…。 先輩宅でやっと充電できて(-.-) とりあえず、友だち、親戚に連絡してからお風呂入りました。 ご飯を食べ始めても体の震えが止まらなくて。。。 実際、余震もまだまだ続いています。 揺れていないのに揺れてるって叫んでしまいます。 何でもないのに涙があふれたりもします。 震度5強でこんな気持ちになるのだから、被災地の 方々はどんな気持ちなのか… いたたまれない気分です。 じっと座ってると揺れてる気がしておかしくなりそうだったので 緊急避難グッズをメンテナンスしました。 足りないものを調達しに少しお昼から出かけました。 仙台の友だちとまだ連絡取れなくて心配。 その他のお友だちはみんな無事。ほっとした。 でも、一番、私、心配されてたっぽい(爆) 親戚中がみんな心配してくれて携帯にメールくれてた。 みんなありがとう。 今後も余震続くと思いますし、油断は禁物ですね。 まだ手が震えているようなそんな感じで。 自分の心臓の音が響いていて、揺れてると勘違いする。 本当に本当に怖かった……。 寝ようとしてもなかなか寝られなくて。 ようやく夕方睡眠取ることができました。 で、ここでやっとタイトル『優しさ』です。 昨日はとても怖い経験をすると同時に人の優しさに 触れた時間でした。 まずは会社の先輩。 私の帰宅難民を心配してとにかく行けるところまで 行こうと一緒に行動を共にしてくれました。 最初から自宅に戻れなかった時はうちに泊まれば いいから!と言ってくれてて。 先輩宅の近くにご実家があり、そちらでご飯も食べさせて もらい、先輩宅に泊まらせてもらい、最終的には 旦那さん運転手で自宅まで送っていただきました。 こんなに優しく対応してくださって本当に幸せです。 あの時、一人で電車が動き出すまで何時間も待機することが 出来たかどうか、一人だとパニクっていたと思うし、 逆に先輩と一緒にいたので何時間も耐えられたのかもしれません。 (実際に地元の電車が動き出したのは22:30頃。 でも丸の内から池袋へ行く手段がないから、どっちにしろ 戻ってこられたかどうか…という感じです。) 感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 そして、一緒にバスに乗り合わせた人たち。 特に一生懸命、帰る道を教えてくれた親切なおじさん。 私たちだけではなく、周りに座っている人たちの帰り方を 一緒に考えてくれたり、復旧した路線でなんとか自宅近くまで 帰れるようにと考えてくれました。 どんどん地下鉄の路線が復旧するにつれてバスを途中下車 する人たちは 「ではお先に失礼します。みなさん気をつけて下さい」と 一言残し、運転手さんにも「ありがとうございました」と 降りて行く人が多数いました。 その言葉にバスの中に残った私たちもこたえるように がんばってください、なんて話しかけたりして。 親切なおじさんは息子さんが仙台の病院に勤めていると いっていて、まだ安否は確認できていないとの事でした。 そんな中、励ましてくれたり、一緒になって考えてくれたり とにかく救われました。 途中でおじさんも下車して行ったのですが、突然だったので きちんとお礼も言えず、、、 ココを見ることはないと思っていますが、一言言わせて下さい。 本当に親切にしてくださってありがとうございました。 あんな怖い思いをした後に人の優しさに触れて 心が温まりました。 そして、私の安否を心配して連絡をくれた親戚、お友だち、 それから夜中もずっと起きて連絡を待っていてくれた母と兄に 感謝します。 そして、携帯の充電が持っている間はツイッターでつぶやいて いたので、それにリプくれたお友だち、みんなありがとう。 随分と励まされました。 お風呂にも入れて、ご飯も食べられて、私はまだいいほうです。 この普通の生活が出来ない人たちがたくさんいるなかで、 私にできることは何だろうと思ってしまいますが、とにかく これ以上、被害が出ないことを祈るばかりです。 なんだか、色々書いてしまって支離滅裂だったらすみません。 とにかく無事です。大丈夫です。 皆様もどうぞこの後も気をつけてお過ごしください。 本当はね、GANTZの完成披露試写会、とてもいい思いを出来たので レポする予定だったんです。 今はそんな気分になれないですが、気持ちが落ち着いたら レポさせていただきます。 一言だけ。 至近距離でニノを見られて幸せでした…!! ところで、SMAPも嵐くんたちもみんな無事かな。。。 |
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本当に長い長い一日だったねえ。私も本当にいろいろな優しさを感じたよ。画用紙にトイレ貸しますって書いて立っている近隣の方々。 |
親友 2011/03/12 22:31 |
◆親友ちゃんへ◆ |
ララ 2011/03/12 22:34 |
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ひろくみ 2011/03/13 12:43 |
◆ひろくみさんへ◆ |
ララ 2011/03/13 14:22 |
ララさん、本当に長い長い大変な一日だったことと思います。 |
AKO 2011/03/13 17:04 |
◆AKOさんへ◆ |
ララ 2011/03/13 18:01 |
ものすごく大変だったね…、無事でいてくれて本当に良かった、ありがとう! |
心友 2011/03/26 20:02 |
◆心友ちゃんへ◆ |
ララ 2011/03/26 21:55 |
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